金
16
9月
2011
大浦・・・干拓!
一面に広がる田んぼ。
なんとよい天気でしょう☆
南さつま市は大浦、丸山島公園からの風景です。
目の前に広がるは大浦干拓にございます。
こちらの風景、すべて干拓でございます!
すべてですよすべて!!(・・・くどい!)
広いですね~(´ω`)
干拓ということは?
そうです。
昔この風景は海でした。
今でこそ早期米をつくり、
蕎麦をつくり、
その他もろもろ野菜を裏作することもできていますが
それは当たり前のことではありませんでした。
この風景は大浦の先代の方々の汗と涙と頑張りの結晶なのです・・・
工事着工当時。
機械もなければ重機もありませんでした。
すべて人力!!(そんなバカな!!いえ、本当です)
手押しトロッコを使って周辺の山から土を運び出し、土嚢を作って堤防を造る・・・。
これだけの広さです。
途方もない作業だったと思います。
大浦町民の手で地道に・・・それはもう地道に
長い時間をかけて造られました・・・
工事着工は昭和17年。
農地開拓営団の人たちがはじめました。
1942年ですので、終戦の直前になります。
「大浦を元気に!大々的な農業を!」と立ち上がりましたが
ときは第二次世界大戦の真っ只中。
若く力のある青少年たちはどんどん戦場へ赴いていきました。
思うように工事が進まない・・・
戦場に赴いた家族のことが頭から離れない悶々とした日々・・・
町民の士気はどんどん下がっていったといいます。
当時の笠沙町町長、唐仁原等(とうじんばらひとし)さんは
「このままでは干拓の工事はなくなってしまう・・・!未来のためにも終わらせてはいけない・・・!」
と、当時の笠沙町住民の皆さんのお宅を一軒一軒周り、
工事継続、干拓の広がる未来を訴えたといいます。
心の折れかかった住民に再び立ち上がってもらうように声をかけていくのは本当に大変なことだったと思います。
そんな熱い想いが届いたのでしょう。
大浦の干拓工事は昭和22年に農水省の直轄事業として採択されます。
工事のは二つの区画に分けられました。
第一工区は昭和24年~36年の12年間、
第二工区は昭和25年~40年の15年間にわたって作られました。
途中、『昭和の三大台風』とも言われる伊勢湾台風の大打撃を受けたこともありました。
もともと海だった土地です。
作物が思うように育ちませんでした。
堤防の補修に土壌改良。
来る日も来る日も干拓地との格闘!!
それでも!
あきらめずに干拓を整備し、
作物を作り続け・・・
今こうやって安定した農業を行うことができるようになったのです。
大浦には、
「広いな~」
「キレイな景色だな~」
だけじゃない風景が広がっています!
有木機工の奥様、おじいちゃん、南さつま市大浦支所のご担当者様。
お話を聞かせてくださり、どうもありがとうございました。☆(^ω^)
有木機工の奥様は大浦が大好き!
更新するブログには日々、大浦での出来事が綴られています☆
小さいことも大きいことも。
「今は大浦に住んでいなくても、大浦に住むご両親や土地のことを想う人たちに届くように」
と日々大浦の日常を発信されています。
あったかくて等身大なところが素敵なブログです☆
是非ご覧になってみてください!
大浦干拓を望むのであれば
今回写真を撮った丸山島公園がオススメです☆
展望台からの景色、素敵です☆
・・・ん?、丸山島?
そうです・・・
昔はこの展望台は島でした!!!(ホント!)
下の写真は大浦のメインストリートです。
ちなみに海抜は3メートル。
公園からまっすぐに伸びた通りが素敵ですよね。
大浦にお越しの際は是非立ち寄ってみてくださいね!☆



